人間において最も優れた才能は忘れるという事である。
と、常々わたしはそう感じています。
悲しみも苦難の日々もやがて人々の記憶から薄れてトレーシングペーパーのように透けていきます。
人はだから生きていけるのだと・・・
神が与えし才能の主たる物はこれで、
しかし、それを持ってしても" 陰鬱な記憶 " はその才能すら押しやり深い心の襞の中に潜もうとします。
マイケル・ダグラス演じるニコラスは大富豪であった父の財産を引き継ぐ実業家、豪邸に住み、専属のメイドを敷地内に住まわせ、映画の中の彼曰く「金を右から左に動かして金儲けをする 」 そんな男
一度でいいから言ってみたい台詞ですね。
金ですべてを動かすことすら出来る男、でも彼は妻と別れ友人は少なくただ孤独です。
この映画の鍵をどう開けるか、いかに解釈するかはそれを観る人それぞれですが、お金で買えないものがこの世の中に必ず存在するのではないか、いや世の中、金銭こそが万能なのか?
根底にあるテーマはこの事であるように私には思えてなりません。
富を得ると同時に傲慢や自尊心は膨れ上がり、背広のボタンを弾き飛ばすほどになっていきます。
傲慢や驕りは血のつながりのある者さえも時においては排除せしめんと企てます。
" 心の富 " は金銭に比例しないのではないか、マイケル・ダグラスの演じるニコラスは誰をしても引き寄せられずにはいられない、あなた いや私なのだと。
デビッド・フィンチヤーが生み出す現代の心の襞は神の提示した 「十戒」 とも交錯する推薦の一作でもあります。
神はその戒めにおいて商売によって引き起こされる罪悪について人間に釘を打ちました。
金銭を操るという行為は人の心を歪めると神は見据えていたのでしょう。
皮肉ながら、しかも逆説的に金銭を操ることに長けるのはユダヤの民でもあるのですが。
そりゃ、誰でもお金は欲しくてしょうがありませんけど
でも考えてみれば、人は体すら来世へ持ってはいけないのですから。