Time Paradox 時間の逆説、過去は取り消せない

 

 

商用先のふと立ち寄ったコンビニのDVDコーナーで目に止まったのがこの作品でした。

内容もわからないままにタイトルとパッケージで買ってみましたが、意外にもこれが楽しめましたので5月最後の作は大とりとしてワーナー・ブラザース製作の「タイムマシン2002」です。

 

  時空を移動するというテーマは人類が過去H・G・ウエルズの小説に見られるように夢にした空想世界であり、このブログの「コンタクト」でも紹介したロバート・ゼメキス監督の大ヒット作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作が記憶に近いところでもあります。

 

  この映画で主人公に扮するガイ・ピアース、公私ともに幸福という階段を登るばかりの科学者の彼はその絶頂で公園で待ち合わせた婚約者を暴漢の凶弾で失ってしまいます。

人が変り失意のどん底に叩き落された彼が、狂気という悪魔に憑かれたように作りし物こそタイムマシンでした。

彼はどうしても彼女が忘れられず、過去に戻って婚約者である彼女を助けようとします。

私たちにもありますよね。あの時こうしていれば、あの時間が少しずれていたなら・・・

そんなことが。

 

ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェットの「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」においても同様のシークエンスがあります。

 

  人生において唯一どうにもならないものがあるとすれば、これではないでしょうか?

主人公は過去に戻りその目的を達成しようとしますが、タイム・パラドックスはそれを許しません。

 

  SF作家のラリー・ニーブンは最終的に人類の歴史は、「タイムマシンが存在せず、時間旅行者が決して現れない歴史」として安定するのではないかと述べています。

つまり、何者かが別の人間に過去に遡って特定の人間を(誰と明かさずに)殺させるという企みは成功しない。なぜなら、成功するとそもそも殺人を依頼する動機がなくなってしまい、タイムトラベルが行われないことになるからである。

壮大な宇宙理論とも交差する哲学は、私のチャチな頭で解釈すればこういうことだといえそうです。

「過去の改変は取り消される」 と !

 

主人公は未来へ旅立って"生きる自ら"を見つけ出します。過去を想い出に変えることによって。

 

重いテーマの5月に付き合っていただいて本当に感謝いたします。

梅雨本番となるうっとおしい6月はせめて明るくて軽くて底抜けなテーマにしたかったというのが本音です。

では、6月という少し先の未来でお会いしましょう。