イタリアはナポリのコムーネ(地域共同体)のイスキア、仏・伊合作のロケ地にして観光地としても有名。
上の写真は作曲の巨匠ニーノ・ロータ。
映画発祥の地にして、7つ目の文化と公言してはばからない、フランス映画の金字塔「太陽がいっぱい/Plein soleil」です。
燦々と降り注ぐ南イタリアの太陽、ヨットの似合う明るい海そして哀愁あふれるニーノ・ロータのテーマ。
ギラギラとした太陽同様に、その眼差しの奥に悪辣な完全犯罪を目論む貧困家庭出身の野望に溢れた青年トムをアラン・ドロンが演じる名作です。
この映画に接したときに、「こんな美男子がいるのか」 とそう素直に感じました。
あまりに綺麗すぎてアメリカではついぞ成功を成し得なかった彼ですが、我々には当時鮮烈な印象を刻みつけました。
奥底に深い悲しみを宿すかのようなアランの瞳は彼の生い立ちや育った家庭環境にもよるのでしょうか、自分をしてマリリン・モンローのような 「笑ってはいるが、心底微笑んでいない」 背景を感じさせます。
アラン自身6作目となる、この映画はまさに彼がこの映画に出演するために生を受けて来たのかとも思わせる出来栄えです。
名匠ルネ・クレマンがメガホンをとり、パトリシア・ハイスミスの原作「才人リプリー君」をアラン・ドロン主演、脇に名優モーリス・ロネ、繊細な心とぐらつきやすいナイーブなマルジェを俳優で歌手でもあるマリー・ラフォレが演じています。
監督によっては難解な作風や演出があるフランス映画ですが、この作品はある部分を除き決してそうではありません。
幕引きにふさわしいパラソルの並ぶ海辺のシーンはこの映画の真骨頂でしょう。
完全犯罪を成功させ、「今までにない最高の気分だ・・・」 と言い放つ有頂天の彼を、刑事は「電話だと彼を呼べ 」 と女にそう伝えます。
伝えられた、その言葉にグラスを片手に応える "アランの満面の笑み" が忘れられません。
代役は恐らくいないでしょう、リメイクを試みたとしても。
後々巨匠ルキノ・ビスコンティの寵愛をも受けながら彼はフランス映画の顔となっていきます。
この映画に潜む、何故彼は? とか、どうして彼はあんな事を・・・?
と、そう疑問に想われるわたしたちに、かの映画解説者の淀川長治をこう答えています。
「 彼は女に興味がないのだと 」、これがこの映画を読み解く大きな鍵でもあります。
だから、この映画に出演するためにアランは生を受けたのだと、そう言いました。
ピカレスクとは悪漢小説ともいわれる分野、下層出身者で社会寄生的存在の主人公を題材とする彼の代表作は苦しく、決して恵まれなかった深い闇を持ち合わす、あの頃のアランの心と紙一重でかさなった彼、会心の作でもあります。
日本版
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=eFOJfVo7XqI&gl=JP