Urge the chimpanzee/NPD 獣の鎧は奥底に...

 

 以前、チンパンジーの記録番組をTVで見たことがあります。

人間の進化の分岐点に位置づけされる彼らの群れは、一見統率され秩序がたもたれて穏やかに見えますが、ある衝動をきっかけに、これらは悪夢のような凄まじい光景に豹変します。

他の小さな個体の猿を群れをなして狩り、悍ましき狂気の様にいたっては子殺しをおこない、狂気の顔相で肉を貪り食べ、恍惚の笑みを浮かべるがごとく嬉々として肉片を引きちぎりポリポリと音を立てて小骨や筋を弄りたべます。

 

どんな小説よりも残酷で、どんな残酷な映画よりも下劣だと・・・わたしは、そう感じました。( ゴリラやオランウータンはこれらに比べればはるかに紳士です。)

吐き気をもよおすような感覚です。

今までの静寂が嘘のように森は、阿鼻叫喚の修羅場 と化してゆきます。

森の支配者となったかのように雄たちは狂喜し乱舞する、なんとも嫌な光景がそこにありました。

実際、チンパンジーの大きな成体はひとの腕なら引き抜くほど握力や前腕のちからが強くまたたいへん残酷で襲われた死体は頭からかじりつかれたものが多いと聞きます。

 

これが、我々の「進化の過去」に "現実" として存在する証しであるといえます。

 

 前置きが長くなりましたが、多重人格いえ二重人格の保安官を描いたジム・トンプソンのピカレスク犯罪小説「The Killer Inside Me」 が今回の作品です。

ケイシー・アフレック、ジェシカ・アルバ、ケイト・ハドソンを奇才マイケル・ウインターボトムがメガホンをとりリメイクとして描写した傑作小説の21世紀解釈版ともいえるでしょうか。

ケイシー・アフレックはオーシャンズ11&12の演技が記憶にありますが、他の大物にはさまれて少々印象薄でしたが、こんな演技が出来るんですね。

二の腕を鍛えてくれれば、迫力倍増なんですけどね。

前半がど~も矢継ぎ早に継ぎ足す感じでピンとこないんですが、後半のルー・フォードの狂気や怪物的本性が見て取れる頃から監督の意図がわかりやすくなり、股間を微妙に振動させるかのようなスリリングな狂気に浸りつつも、実際は破滅的な奈落へと進んでいく主人公の狂気が上手く描かれています。

セクシー・セレブのジェシカ・アルバに期待してましたが、肩透かしだったかな。

ただコレを埋めて余りあるケイト・ハドソンの "自然老化的好印象演舞" ( ナンかチャイニーズですが ) には驚きましたね。 これが自発的な役作りなら驚くべき( 老化) 進化です。

味の染み込んだ極上の奈良漬けのようで。彼女あっての結末でした。

 

 あなたが深い鬱蒼とした森の中で迷ってしまい呆然と立ち尽くす霧の先に、道が2本見えたとします、右か左か・・・片や地獄かたや光明の "天の声"、絶対絶命のこの瞬間にわれわれの祖先は選択肢を自然に身に着けていました、「第六感」、そう称されています。

進化とは、何かを捨て去り、何かを得るものであるのだと、わたしは感じています。

両方を一緒にという高望みなど所詮、無理なことなのだと・・・

運命の極限にさらされた時、NAVIなど役にたつでしょうか? 懐疑的になります。

人類への進化を約束し、恩恵を享受し地球を闊歩する保証を与えた人間に神が取引を求めたとするなら、時を経てもなお拭いさることの出来ない遺伝子という "血の烙印" なのかも知れないと・・・!

 

 以前は同じであったのです、猿も人も文明というかりそめの鎧をめくるなら。

いつの日からか人間は、それがわからなくなったと・・・そうは言えないでしょうか?