古来、日本にはお盆という習わしがあります。
ご先祖様を敬い、その精霊をその家にむかい入れて供養し家族とともに過ごす期間がそれです。
わたしの幼少の頃の記憶に、夏の暑さが収まりかけた夜、家の門々に薄青い光りを放つお盆提灯の怪しげな光りが在ります。
その村で過ごした日々はいつも手の届くところに自然がありました。
田んぼの小川に朝早く起きてカメの子をとりに行ったり、ザリガニをとったり、真珠の養殖筏から海に飛び込んで秘密の清流がある場所に水を飲みに行ったりしました。
「ぐうの樹」 とよばれた大木にはカブトムシやクワガタ がいっぱいいました。
あのときの夏は夜は涼しく子供ながらヒヤーっとした冷気を感じました。
森には自然の神が、樹々には精霊が宿っていたと、今想えばそう感じるのは無垢な感受性がこどもには存在したからでしょうか?
おじいちゃん、おばあちゃん子だった私は、ある不思議な体験をしてから怖い話や幽霊の話を度々おばあちゃんにねだるようになりました。
あの日を機に ・・・
眼に入れても痛くないほど可愛がってくれたおばあちゃんでした。
下郎屋 (したろ屋 / 親戚の屋号) のおばあちゃんが亡くなり、その家に行くと土葬であったその頃、おばあちゃんの亡骸が仏壇にありました。
お坊さんがやって来て念仏を唱え始めると私の耳に、遠~く遠~くから次第に近づくかのような声が聞こえはじめました。
「連れていかんとけぇ~、連れていかんとけやぁ~」 ・・・ と 。 そのおばあちゃんの声でした。
お墓での弔いの際にもわたしは何度もその声を耳にします。
耳の奥に声が届いてくるのです。
父の真珠養殖の関係でおばあちゃん達と離れ離れになり、盆正にしか田舎に帰れなくなったわたしをおばあちゃんはそれは楽しみに待っていてくれました。
そのおばあちゃんが年老いて病床に伏すようになり見舞いに何度か帰ったのち皮肉にもすぐに別れはやって来ました。
冬の夜にかかった電話はおばあちゃんが亡くなったことを知らすものでした。
その夜、わたしは家内と大喧嘩をします。あまりに腹がたって別の部屋で床につきました。
12 時半をまわっていたと、そう思います。
部屋で一人で寝ていたわたしの耳元で声が聞こえました。
「敦ちゃん、もう、行くよ・・・」 と
あとでこの事を家内に話すと、「喧嘩したから言わなかったけど、喧嘩の最中に窓からず~っと女の人がこちらを覗いてた」 、家内はそう言いました。
葬儀に帰省して小さくなったおばあちゃんの亡骸を初めてみた家内は確信したように
「おばあちゃんやったんやね」 。
そう言いました。
世のしがらみに揉まれ、心に襞が増えてゆくとき ・・・
その声は聞こえなくなるのでしょうか?
大木に虫が、小川に生きものがいたあの頃、精霊が近くに在ったような気がします。
確かにあの頃の夏の夜には冷気がありましたから