“I’m pretty, but I’m not beautiful
I sin, but I’m not the devil
I’m good, but I’m not an angel.”
— Marilyn Monroe
歩んできたイバラの道は映画化することさえタブーなのではないでしょうか。
「シャネルの5番」 がセンセーショナルでした。
遠くを見つめるかのような眼差しは、微笑んでいるようで心底笑っていたのでしょうか?
1926年に生まれた彼女の幼少期はすでに長い孤独な心を暗示しているかのようでした。
10才で女になり、15才に妊娠・出産、働きはじめた先で駐軍のカメラマンの目に止まりモデルとしての活動をはじめました。
限りない男たちの欲望はそのめくれ上がった唇と弾けんばかりの肉体に釘付けになっていたようです。
彼女がその人生において何を求め続けたのかは神のみが知るところではありますが、幼い小さな胸に押し付けられた刻印はいつも”こころのすき間”を埋めようとしたのでしょう。
タイトルフォトの下、彼女の言葉の中で「わたしは天使じゃないの」 と彼女自身が言っています。驚くほど聡明で賢くもさえあったと聞く、生身の彼女は自身のセクシャルな部分と過去をあわせてスターへの道を願っていたとわたしには感じられます。
美化しすぎてはならない彼女の一面といえるはずです。
つまりノーマ・ジーンと女優マリリン・モンローです。
60年代はアメリカにとって多くの病巣があった時代、映画界から政界、そしてマフィア ・・・
手の届かない暗い霧はマリリンの足元に当然のごとく忍びよります。
映画 「ゴッド・ファーザー」 でドン・コルレオーネに叱責される白いスーツの男はフランク・シナトラがモデルだといわれています。ジュディー・ガーランドらとも親交のあったこのエンタテーナーを中心とする取り巻きはこの病巣の象徴の一部でしょう。
ジョン・F・ケネディーの妹と結婚していた (なんでっ、?) この男は ” ゴシップの箱 ” ともいわれたケネディ一族と映画界との (女優らとの接点) 橋渡しを演出します。
兄のジョンだけでなく弟のロバートとも彼女は深い関係に陥ります。
なんという闇・・・クリントンのつまみ食いなどかわいいものです。
敵の多かった ( なかでも超大物がいるはず ) ケネディ一族にとってマリリンという存在が次第に煩わしい物になったであろうことはわたしにも想像がつきます。
そして1962年8月5日、その日はやって来ます。
憶測は憶測を呼び陰謀説はまことしやかに囁かれました、当然のことといえます。
一国の大統領と不倫関係にあった女優の死、それもアメリカです。
葬儀を取り仕切り生涯マリリンを愛し続けた無骨なオトコ、ディマジオはケネディ家やシナトラらを一切排除し彼女を天に送りました。
以来、彼女の墓には花がたえないそうです。
時代が変わりウーマン・リブが台頭し、彼女の生き方など到底受け入れられるようなものではなくなりました。
” ケネディ暗殺の闇 ” が暴かれるのは2039年・・ ・余りにも長いこの密閉期間は何を意味するのか?
あの 「赤い手帳」 も公開してもらえればと願うは、わたしだけではないことでしょう。