Sophia Loren 大いなる肉体、大いなる母性

 

 

 「二人の女」 1960年でアカデミー主演女優賞に輝く、世紀の大女優ソフィァ・ローレンです。

時代を象徴するセックス・シンボルとして「島の女」 での水に濡れた彼女の衣が透けてゆくシーンは鮮烈でした。

シェービングケアをしていない腋毛を晒してとるポーズは世の男君の腰のあたりをムズムズさせるには十分なものでした。眼・唇・鼻は彼女の意志の確かさを表すように大作りで手強くもありました。 (彼女のカラダに魅了されたとしても、口説くには勇気がいったのではないでしょうか)

そうからなのか、不思議な事に彼女のセクシャルな部分とは違ってわたしはいつもローレンに母性を感じてしまうのはわたしだけ?

 

 シガニー・ウィーバーがかつてポルノ・フィルムに出演したことがあったとの噂がありました、ローレンにもそんな写真が現存しています。

目ざとい映画人であればこのカラダは 「宝石の原石」 のごとく映ったことでしょう。

夫君はカルロ・ポンティ、かのディノ・デ・ラウレンティスと並び称される超大物プロデュ-サー、重婚を乗り越えてまで彼との結婚を求めた彼女は安定を求めた賢い女であったようです。

生涯にわたりコンビを共にしたビットリオ・デ・シーカ、マルチェロ・マストロヤンニとの映画 「ひまわり/I Girasoli でのロシアロケの写真が上です。

戦争で引き裂かれていく男と女の生きざまを巨匠ヘンリー・マンシーニの名曲にのせて綴る珠玉の名作を若しその日の気の強い女と運命の失望に翻弄され白髪に染まった老け役の未亡人をローレンが演じきりました。

 年老いた夫の母を励ましながら未知の地ロシアで不安と一縷の望みを託して夫を探すをくだりは秀逸でありローレンの真骨頂です。

象徴的なロシアの駅でのローレンの大人の女の演技は、ロシアの大地に散った数々の犠牲者の魂を種に咲いた物言わぬひまわりの明るさに対比されて物悲しくうつります。

ローレンも、ですが ・・・ 去り際に車窓に交錯するマストロヤンニの男の顔がわたしには余りにも印象的でした。

 

運命の皮肉と言葉で片付けるのは簡単です。

しかし、

時が過ぎようと、平和とはかくも尊いとこの映画とひまわりは語りかけてきます。