Saving Private Ryan    20  8  4  1


 

未曾有の天災から4年この日を風化させないかのように未だに寒い今年です。

 

 誰にでも分かるのは天災の他に人災もあるのだということだと思います。1998年スピルバーグ監督メガホンの 「Saving Private Ryan / プライベート・ライアン 」 です。

国威発揚といえる作品だと思います、米国は必ずこれらを節目に制作しており有名なのがスピルバーグです。彼のフィルモグラフィーを見れば一目瞭然!

 

 わたしの母は幼いころに父・長兄そして母と3人を続けて亡くしています。11月に当時の紫斑病で母を、父と長兄は三重県浜島沖で米軍艦載機の機銃掃射で生を終えました。枯渇していた漁のための燃料を段取りしようと向かった先でそれは起こりました。

就職のため家を離れていた3男が艦載機が出没しているから注意して沖に出るようにと連絡を頻繁に入れていた矢先です。母を含め兄弟はなんとも厳しい状況に陥ります。

三重県のわたしの在所には 「巫女の口開け/ミコ寄せ」 という風習が残っていて想い遂げれず逝った人の言葉をイタコが降霊してしゃべるという恐山のそれと似ています。

 

父の霊が降りた巫女はこう言ったそうです! 「 軒下三寸、離れられない」 と

母はこの言葉を聞いて涙がとまらず2日間泣きはらしたそうです。

 

 

 わたしはアメリカも洋画も好きですが、この点だけは嫌いです。

 

東北のことも、3月10日の東京やヒロシマ・ナガサキも刻みつけておくことが大事だと思います。

 

 

 この映画はその光と影の米国版です。

犠牲は犠牲を呼ぶという連鎖を確かめておくべきです、タイトルの数字20は冒頭のDデイの上陸シーンの時間を指しています多くのレビューで語られているように映画史に残るものです。

当時でさえこれ、いまは推して知るべしです。

 

男が男泣きするシーンのどうしようもなさを風化させずに観ていただきたいと、そう念じています。