se7enの解釈について

 

本編ならびにファイナルに数限りない解釈が存在する映画といえばこれではないでしょうか。

 

 

再度 鑑賞する機会を得てそこに入ると`最新のものを見ている安堵感に包まれまる。`

 

26年前の作品とは到底思えない。

 

この作品を超えるのはなかなか難しい、と いまでも思わせる。

 

役者にも不足はない。

 

さて不足があるとしたなら それは「解釈」となる。

 

 

 

やるせなさが足にうずく白癬のように離れない。

サブリミナルがそれを増幅したとも。

 

わたしは2度みて「雨」を思った。全編を通じ6割強が雨に降られるシーンとなる。そしてそれは8回やって来る!

冒頭のミルズとサマセットの出会いから雨、最後のワイルド・ビル皮革店のときも後ろ腰のドアの外は雨。( だが7回と数えもできる 、そのまま8回とも)

ジョン・ドゥが案内するファイナルは真逆的に反して照らされ乾いた砂が舞う平原となる。

裸足ならいつの間にか砂がざらざらと靴の中で足裏をこするような。

 

 

裁判所の法廷のようでは無いのか・・・? そう  鳥肌が立つような感覚。

 

神のおこないは神秘的だと。ラストなのか継続か いや裁きなのでは。

 

 

ダンテ「神曲」では「地獄」から罪を償いながら「煉獄」へと

そして

「地獄」では金に執着しすぎた者、情欲や肉欲に溺れたものが永遠にただよっているのだという、それから解放されない「罰」を受け続けるのだということだろう。そこからぼとぼとと罪と罰にこすられ背負いながらそれらを償い9つの谷からなる絶壁を上へと登ると「煉獄」へたどり着く。

 

先に言った8回の雨の後の`砂塵舞う平原`はほこの9つに相当するのではないか。

 

 

「地獄」は狭く上にいくほど広くなるのは このわたしが言う「雨」と「からからの砂漠」の描写がファイナルの解釈に関与できる証人だと自分は考えている。

 

凡人どもが様々な罪を償いつつ果てはそこに在る魂の数々から「家族・友人などへの祈りを捧げて欲しい」という伝言を背に果てしなくも「天国」に近づけるのが「煉獄」としたら、道すがら途中に天使が現れダンテの額に「七つの大罪」を刻むのが納得できる。

 

これらを償い清めながらなお上がらなくてはならない。

 

サマセットはハッピー・エンドは無いと劇中で語っている。

 

奇しくも「神曲」ではダンテ自身がつぎの段階の「天国」は読解が難しいと唱えている。

 

 

 

最小限の人々のみが10の天界に在ることができると聞いている。

 

なら、

 

この「セブン ✟✟✟✟✟✟✟」のファイナルは「そこからはもう来るな」という神の意志ではないのか。

 

ミルズもジョン・ドゥもサマセットもトレイシーも

 

 

解釈のファイナルでなく神の法廷を見せただけではないのか。

 

 

 

 

追記

 

「地獄より光に至る道は長く険しい」