Ripley COME BACK

 

Phase は的確にリドリー・スコットが考えるように展開している。

プロメテウスの中弛みはこのコヴェナントがグッと引き締めてきたように思える。

 

監督にとってもライフワークに近い存在となっているのが分かる。

 

リプリーやデビッド、ウオルター、ダニエルズを通して母としてのエイリアンを見ているのではと思える節がある。子孫を残すことに忠実で冷酷な完全生物。

ジェームス・キャメロンのエイリアン2ではファイナルは母 v 母、言い換えれば 雌対雌の一騎打ちとなった。

 

同じようにプレデターやターミネーターが続かないのは惜しいがこれは資質の問題だろう。キャストにこだわってもこだわらなくても作品は陳腐になる。

 

 

いづれにせよ映画史に残るエンタテイメント作品であることに意義はない。

 

 

次作が待ち遠しい。

 

 

「エイリアン:こげなこと」 スイマセンでした。